昭和歌謡と平成女

平成女の、平成女による、平成女のためのブログ

月光

人生は与えられたカードで戦わなければいけないと言われることがある。
生まれる時代も場所も両親も、性別も容姿も選ぶことができない。
都会に生まれていたら人生が違うかったかもしれないとか、もう少し可愛かったらどんな人生なんだろうとか、考えだしたらキリがない。

「この腐敗した世界に落とされた」とは
現代に生まれた者が抱える屈辱なのか。

「こんなもののために生まれたわけじゃない」
とは与えられたカードへの不満なのか。


私自身、容姿や経歴にコンプレックスを抱えている。
それはきっと俗に言う与えられたカードへの不満である。
しかし、ふとしてみると与えられたカードに不満を抱いている時点でそれを負と捉え、言い訳にしているのとさほど変わらない。
きっと、容姿にも経済力にも不満のない、と感じることが出来る人は負の部分に目を向けることに貴重な時間を費やさない。

我々が自身の手持ちを負として捉えている時点で
それはきっと諦めや言い訳への一歩で、
ネガティブへの入口なのだろう。

20年間生きてきて、
自身に持つ負のイメージがどれだけ無意味か痛感することも多かった。
自分では消してしまいたいような大きな鼻のある顔でも他の誰かからは大きな目が印象的な顔でしかないかもしれない。
そこで鼻が大きくて嫌いだという一言を発するだけでその負のイメージが印象づけられせっかくの印象的な目は二の次となってしまうかもしれない。

与えられたカードを不戦敗の理由にするのは
あまりにも虚しすぎる。

頭では分かっている。
あとは心と、ほんの少しの行動力。

平成女。

少女A

「どこにでもいる少女A。」
とは誰のことか。

授業でみたMONA LISA Smileという映画の中に興味深いやり取りがあった。

どれだけ高学歴でも女性は結婚し、
家庭に入ることが当たり前で
一番の幸せだとまで思われていた時代に
それを疑わずに生きていた学生と
疑問を持っていた教授のやり取り。

英語での台詞でうろ覚えだが、「未来の学者たちが現代の私たちを科学する時、どのように表すだろうか。」というような言い回しで教授は生徒達の"正しいと信じられた価値観"に疑問を投げかけていたシーンがあったと記憶している。

現代に生きている私達は
未来の人たちから見てどう映るのだろうか。
"SNS栄え"が一番の地位確率方法のように無意識のうちに刷り込まれている現代の私たちミレニアルは"幸せの創造"に忙しい。

もちろん各々が幸せを感じることが出来ているなら否定はしない。
可愛い物やお洒落な食べ物に囲まれた生活を共有する事で他人も幸せな気分になる事さえあるかもしれない。

しかし、多数派になる事があたかも幸せかのような、SNS栄えしないということが幸せではない事の象徴になるような、
そういった価値観の強要は虚しすぎる。

こういった考え方をするから
私はいつになっても浮いてしまうのだろう。

でも、平均女にはなりたくない。
どこにでもいる少女Aには。

そんな思いが今日も私をお硬く
めんどくさい女にしても。

平成女。

イミテーションゴールド

 

この曲を聞いている時、

「ごめんね去年の人とまた比べている」

「ごめんね去年の人にまだ縛られてる」

という歌詞が耳に残った。

 

私自身、過去の"誰か"に縛られて消極的になっている自覚はない。

ただ、過去と今比較をしていないかと言われると少し戸惑う。

 

私は、失敗を繰り返したくないと感じる質。

その事を人は成長とも呼ぶのだろうが、

私の場合は逆効果となることが多い。

 

例えば、過去に「味覚が合わない人とご飯を食べても楽しくない」と感じたとするなら

今後人生で築くであろう新しい人間関係から"味覚が合わない人"を排除しようとさえしてしまう。

 

友人からは「ほんとに他人に心を開かないね」とよく言われるし、

「物事を利益があるかないかで考えすぎ」

「いろんな人をどこかで軽蔑してるでしょ」

と言われることさえちらほら。

 

人間関係を狭くするのが得意なのかと言うくらい、一度違和感を覚えると自分からは近寄れない。

よく、「学生の内に失敗しておかないと社会に出てから挫折するよ」と言われるが、それにさえ臆病になるのだから自分でも厄介だ・・・

 

生きていていつも思うことは、

嫌いなもの/苦手なものが少ないほど人生は楽しいということだ。

もちろん、ストレスになるそれらより、

幸せを感じることが出来る好き/得意なものを増やす方が幸福度は高いだろう。

 

せっかく色々な人がいる社会で暮らす今の自分は、過去の失敗に囚われない人間関係を築くためにもまず、色々な人に出会って知って、克服しなければ。

 

そんな事を思いながら

理想と身の丈の狭間をゆれる

午後10時。

 

平成女。

 

やさしさに包まれたなら

 

昨日、久しぶりに高熱が出た。

 

体調が悪いと感じ、ふと気付くと38.2℃。

一人暮らしの体調不良ほど寂しいものはなくて、辛さを誰かに訴える事もできず、

薬さえ買いに行けず、無力さを感じた。

 

ただ、こういう時に限って

さりげない優しさが心にくる。

授業にいないことに気付いたクラスメイトや

サークルの後輩がメッセージをくれた。

 

気にかけてくれる人がいるだけで

こんなにも優しい気持ちになれるとは。

 

私自身、わりと冷めているところがあって

そういう気遣いを忘れがちだ。

 

こういう機会にもう一度、

優しさについて考えたいと思った。

 

平成女。

 

 

仮面舞踏会

大学生なんだから、
楽しんだ方がいい。

そう思いながらも学校、バイト、家、課題。
そんな毎日が過ぎている。

「忙しい」ことを理由に夜遅くに出かける
フットワークの軽さも無ければ
羽目を外すことも無い。
20になって半年も経つのに
まだまともにお酒を飲んだことすら。

最近薄々気づき始めたが、
本当の理由は真面目だからではなく
自分が変わってしまうのが怖いからだ。

アメリカから帰国した後、
就職や進学など各々の道に進んでいた同級生は、
環境の変化から少しずつ違った方向に向かっていた。
もちろん生きていく上で当たり前のことなのだが、
田舎で幼稚園から中学、高校まで同じメンバーで進んできた私にとって同じ環境で育ってきたはずの同級生の考え方が少しずつ変わり、笑いのツボが変わり、話が合わなくなったと感じるあの疎外感がどうしてもトラウマになってしまった。

私はアメリカへ留学し、東京の大学に進学し、
常に新しい風に晒されてきた。
もちろん成長のチャンスも多いが、
「アメリカ/東京に行ってから変わった」と違和感を持たれることが少し怖い。
だからきっと、
自分の中の自分を、
田舎者の自分を、
崩さないように真面目ぶってしまう。

きっとこのままでは
私はずっと田舎者のままなのだろう。


せめて仮面をかぶっている時だけでも
恐れず新しい自分になれるのなら
その間だけでも
自分に縛られない自分になれるのなら
いつかそんな自分にも会ってみたいなぁ。

平成女。

セーラー服と機関銃

過去には未練も後悔もない。
同様に、現代に余裕もないが。

私の人生、
うまいように転がってきたのではないだろうか。

無理だと思っていた留学に急遽行けることになったり、諦めていた第一志望の大学に今通えていたり。
公私共に大きな悔いもない人生だ。

志が低いのか、自己肯定が過ぎるのか、
ありがたい事に大きな悩みもない。

話は変わるが以前、ご縁があった人に
「恋人より友情を優先する意味がわからない」
(実際は同性の友人との先約があっただけだが)
と言われた事がある。

私にとっては恋人ができた途端優先順位が下がるものなら友情と呼ぶには浅いと思うし、
それを強要する恋人もどうかと思ってしまう。

私は、しょうもないプライドから
「君が巡り会う愛に疲れたら
きっと戻っておいで」
なんて異性には口が裂けても言えない。

ただ、この言葉を友人に届けたい。

「恋人ができた途端優先順位の下がる友情」
に散々物申した後だが、
周りが見えなくなるような恋を是非してほしい。
もちろん自身のことも棚にはあげられないが。

きっとその愛に疲れた頃に
戻ってくる場所があるのが友情だと信じているし、
そんな人と出会えたのが大学生活の一つの財産だ。
ちらほらブログを読んでいるという声を聞くのも実は嬉しい。


さて、まずは愛を探しに精一杯生きますか。
平成女。

ギザギザハートの子守唄

「あぁ わかってくれとは言わないが
そんなに俺が悪いのか」

生きてると理不尽なことも多くて
誰かにわかって欲しいような
愚痴を聞いてほしいような…。

でも愚痴を言ってみたところで
そんな中みんな生きてるわけで、
自分だけが苦しいんじゃないって
気付かされることも多いわけで、


昔から何かあれば逐一母親に相談し、
愚痴を言った。
母はそれを「うんうん」と言いながら
気持ちを沈めてくれた。

今の私にそれが出来るだろうか。
「自立するとね…」「バイト/仕事をはじめるとね…」
説教じみた話しかできないような気がする。
幼い誰かの未来に不安の種を撒いてしまうだけな気がする。

やはり、親は偉大だ。
「そんなこと、社会に出れば…」
ということではなく「気にしない方が楽だ」
ということを気付かせてくれた。

バイトで理不尽に怒られても
「さっきのミスあなたのせいじゃなかったのにね」
と声をかけてくれる人がいる。
その一言で心が整う。

他人の揚げ足を取る為ではなく
誰かを褒めたりフォローする為に
周りを見ることが出来る人間になりたい。
そう思う20の夜。

平成女。