昭和歌謡と平成女

平成女の、平成女による、平成女のためのブログ

プレイバック Pt.2

東京へ出てきた田舎者の私が
衝撃を受けたものが2つ。

一つは酔っ払い。
お酒を飲まない両親との核家族の出身で
親戚が集まってもお酒に飲まれる大人は見たことがなかった。
ましてや公共の場で立ち竦んだり
嘔吐をしたりなんて事は飲酒の副作用としての存在さえ知らなかった。
成人した今でも積極的にお酒を飲もうと思わないのはきっと、どこかしらで彼らと自身の間に一線を置きたいと感じているからだろう。

そして、もう一つが大人の人間味である。
これは、都会と田舎を比較した上での話ではなく
自身の立場の変化によって気付いた上での衝撃だ。

地元で暮らしていた頃、
密に接する大人といえば両親や親戚、先生など
模範となるべき人たちばかりだった。
幼かった私は彼ら大人を「完璧な存在」として見ていることがほとんどだったし、彼らは我々に弱った姿などを見せることは無かった。

しかし、上京をしてからは
他人の目を意識しない(子供への建前も必要の無い)
大人達が本音で話している場面に遭遇する事も増えた。
家庭を持ちながらも家庭的ではないプライベートを自慢げに話す、父親よりも年が上であろうサラリーマンだって、恋人が複数人いることにアイデンティティを見出しているのではないかと言うような話し方をする大人だっていくらでもいる。
飲食店で店員に声を荒らげる大人もいれば
道端で泣いている大人だっている。

もちろん、
私は誰の事を肯定も否定もするつもりはさらさら無い。
でも、ここで気付かされたのは「親に、誰かの模範に、なる」という事がいかに人間の本音を隠すかということ。

東京で感じた大人の人間味は、
きっと都会ならではのものでもなんでもなくて
私が地元で18年間見てきた大人たちが
未熟な私たちに見せられなかった姿なんだろう。
大人も親も先生も人間なんだなぁ。
と感じながら自分も大人の階段を登っている訳です。

ただ、家庭を持った大人にはその幸せを大切にして欲しいという気持ちを込めてプレイバックPt2より…
「坊や、一体何を教わってきたの」

平成女。

人に優しく

THE BLUE HEARTSの名曲、
「人に優しく」。

恥ずかしながら、
歌詞やメッセージを意識して聞き始めたのはここ数日。

ブログのタイトルに選んだのも
午前2:30まで課題をしていた時にたまたまYouTubeで出会ったから。という私らしくないフットワークの軽さだったり。

深夜まで続いた課題合戦の最中、
ダイエット中の私には糖質という名の甘い御褒美などなく、曲中にある「聞こえてほしい あなたにも ガンバレ!」のフレーズだけが心の支えと言っても過言ではなかった。
こういう時の誰かからの「ガンバレ!」は、
自分に言い聞かせる「ガンバレ!」の10倍は励みになる。

ふと、思い出したのは高校時代の部活動だった。
私は持論で、「本当にしんどい時に他人を思いやれること」が一つ優しさの定義だと考えている。
そして、それができる人こそが大切にすべき人であると考えている。

アメリカ時代のバスケットボール部では
スリーポイントシューターというポジションだったがその精度はバラバラで、同じ本数を打っても一試合で10本の3Pシュートを決めることが出来る日があれば2本の日もあった。

シュートを外せばポイントは入らないどころか
相手にリバウンドを取られたら速攻で加点をうらう。
急いでディフェンスに戻るのも体力的に避けたいのが本心だ。
そんな中でも「リバウンドは取るから、打って。」
と言い続けてくれたチームメイトの強さには見習うことが多かった。

「人に優しく」

もちろん、余裕がある状態で人に優しくするのは簡単だ。
自身が追い込まれている時こそ、
その優しさをお互いが気遣うことで小さな幸せと固い絆が生まれるのではないだろうか。

P.S. 課題が多いという友達を助けるつもりでグループ課題のまとめ役を3つもかって出てしまったことにより自身が苦しめられる平成女さんもいるようなので、時には自分にも優しく。

平成女。

平成女は知っていた。
現実とは違う世界に幻想を抱くことで
自身が現実から目を背けているだけだということを。

それは以前、
日本という国に嫌気がさした気がしていたが
一度北米での生活が始まると日本が恋しくなった経験からも歴然だ。

今は無謀にも海の向こう側ではなく
昭和という手を伸ばしても届かない所に
心の拠り所を求めている。

夏目漱石の「こころ」のなかの言葉はよく出来たもので、本当に「精神的に向上心のない者はバカ」なんだろう。
また同じ事の繰り返しをしている気がして虚しくなるのにやめられないのはきっと弱さ。

決して精神的に参ってしまっているわけではなく、
ただそういったことを論理的に考えてしまう性。
平成男にウケないわけだ。


さて、ここで断っておきたいのはこのブログでいう昭和歌謡は発売年に基づいた表記ではないということ。
あいにく、この私にそれほどのこだわりがない。
そのため、昭和を生きてきた人が、青春を、時代を映していると感じるであろう曲のすべてを昭和歌謡と呼び、文章を進める。


話変わって昭和といえば、両親が生を受けた時代。
先日、家族でカラオケに行った際に母が中島みゆきの「糸」を歌った。
何気ない選曲ではあったが父と出会い、結ばれ、若くして私を産んだ母の歌はそれ以上に聴こえた。
「糸」という曲の中で男女はまだ糸同士だが、母はその未来まで知っている。
そんな大人の力強さをどこかから感じ、また恋人が夫婦となって築いた家族の歴史を物語る歌のようだった。


誰もが「既読」という文字におびえずに恋愛をしていた時代。
そんな時代に出会った二人が織りなす布に暖められた私。

当たり前のことが実は奇跡のようで、
この上ない幸せだと気付いた時、
私はもう父と出会ったころの母の年齢であった。

次の世代につながるころには平成も終わり、平成歌謡を愛する娘がBack Numberでも聴いて涙するのだろうか。

平成女。

ジュリアに傷心

友人の影響でブログをはじめることにしたのは本当に軽い決意で、ただ、SNSが普及して言葉が乱れるように流れるこの世の中に自分なりの言葉を発信する場として使っていこう。そんな気持ち。

単なる公開日記のような、
わざわざ人に伝える程でもないような、
でも言葉にすることで自分の外には出したいような、そんな自己満足。

「いいね」や「アクセス数」のような現代病の素などは微塵も気にしないことを宣言した上で始めることに。


まずはブログ名の説明から。
昭和歌謡と平成女」
つまりは昭和歌謡に心を代弁させ、
昭和という響きに憧れ、
平成に生まれたことを残念に思いながら生きる
心の弱い平成女のぼやき。そんなところ。

そして記念すべき初回タイトルは
今ハマっているチェッカーズの名曲から拝借。

サビの直前、
「俺たち都会で大事な何かを失くしちまったね」
が心に刺さる上京2年目の駆け出し。

関西の片田舎から上京し、
東京という響きに胸を踊らせたあの頃から1年。
都会で送る目まぐるしい生活に必死にしがみついた1年。
もうすっかり東京の家に「ただいま」を言うのが日常になった今、いつの間にか、心のどこかで地元で暮らしている人の事を"ぬるい"と思わないと自身が頑張れなくなっていた。

目まぐるしい生活を見知らぬ土地で孤独で送っているような錯覚に、比較対象を見出すことで自身に余裕を持とうとしていた。
そんな悲しい気付きに"都会で失くした何かを"見出した。

なぜ昭和の歌謡曲はこんなにも考えさせられるのか。そして気付きをくれるのか。

そんなことをボヤきながら今日もまた日常を。

平成女。