昭和歌謡と平成女

平成女の、平成女による、平成女のためのブログ

月光

人生は与えられたカードで戦わなければいけないと言われることがある。
生まれる時代も場所も両親も、性別も容姿も選ぶことができない。
都会に生まれていたら人生が違うかったかもしれないとか、もう少し可愛かったらどんな人生なんだろうとか、考えだしたらキリがない。

「この腐敗した世界に落とされた」とは
現代に生まれた者が抱える屈辱なのか。

「こんなもののために生まれたわけじゃない」
とは与えられたカードへの不満なのか。


私自身、容姿や経歴にコンプレックスを抱えている。
それはきっと俗に言う与えられたカードへの不満である。
しかし、ふとしてみると与えられたカードに不満を抱いている時点でそれを負と捉え、言い訳にしているのとさほど変わらない。
きっと、容姿にも経済力にも不満のない、と感じることが出来る人は負の部分に目を向けることに貴重な時間を費やさない。

我々が自身の手持ちを負として捉えている時点で
それはきっと諦めや言い訳への一歩で、
ネガティブへの入口なのだろう。

20年間生きてきて、
自身に持つ負のイメージがどれだけ無意味か痛感することも多かった。
自分では消してしまいたいような大きな鼻のある顔でも他の誰かからは大きな目が印象的な顔でしかないかもしれない。
そこで鼻が大きくて嫌いだという一言を発するだけでその負のイメージが印象づけられせっかくの印象的な目は二の次となってしまうかもしれない。

与えられたカードを不戦敗の理由にするのは
あまりにも虚しすぎる。

頭では分かっている。
あとは心と、ほんの少しの行動力。

平成女。